婚活で幸せをつかむ方法

トップページ > 一緒に暮らすということとは

一緒に暮らすということとは

人はそれぞれ違う家庭で育ったものです。違う家庭で育った者同士が結びつき、新しい家庭を作り上げます。そしてその新しい家庭でまた育つ子どもがいます。自分が持っている常識などはそのようにしてもともと他人であった両親からそれぞれ受け継いだものであるのです。

細かい生活の部分での自分の「常識」が、そのまま誰かの常識と重なることなど少ないものです。自分が「正しい」と信じていることや、なんでもない生活の一場面で「こうするべきだ」と考えていることがそのまま相手と共感できるとは限らないのです。そのような些細なことがズレてしまうと、それは徐々に「ストレス」になっていくものです。ストレスは蓄積され、やがて爆発してしまうこともあるかもしれません。そのように爆発してしまうストレスが、夫婦ふたりの関係に大きな溝を作ったり、後々になってまで尾を引くものになったりするのです。

それまで別々の時間を過ごしていた二人が新しい関係を築こうとすると、それはなかなか大変なものです。それまでは週末や休みの日にしか会えなかった二人が、今度は毎日顔をあわせるのです。それも、逃げも隠れもする場所もなく、毎日です。そのようなことを想像しないで簡単に一緒に暮らし始めると、それまで自分の時間として大切にしていたなんでもない習慣などを変えなければいけなかったり、水回りの使い方やゴミの出し方など、些細ではあるものの生活する上で外せない部分の「ルール」を考えなければいけなくなるものです。

一方が片付けや洗い物、そして洗濯などをしない場合、もう一方がそれを行う必要があります。それももしかするとストレスのひとつになってしまうかもしれません。共働きであれば、条件は互いに同じです。どちらかが遅くなるような場合はどちらかがフォローするなどの気配りがなければ、蓄積されたストレスはすぐに爆発してしまうでしょう。そのように生活の「リズムがあわない」ということが別れる原因になったり、別れるとまではいかないものの関係がギクシャクしてしまう一因になってしまったりするものです。

燃え上がった恋も、困難を乗り越えて勝ち取った新しい生活も、そのようなくだらないことで簡単に冷えきってしまうのです。そのようなことを防ぐためには、自分の「常識」を相手に押し付けないことです。自分が当たり前だと考えているからといって相手も「同じだろう」と当然のように考えないことです。自分と相手は別々の場所で別々の人に育てられました。それだけで持っている常識は違うものです。教えられたことも違うものなのです。そのようなことをしっかりと捉えておかなければ、相手との関係に無理か出てしまうのは仕方のないことなのかもしれません。男女関係の破綻は、「浮気」や「暴力」などということが原因になることの方が少なく、そのような些細な「ズレ」の蓄積が原因になることが最も多いのです。新しい家庭をそれまで「他人」であった人と築くのですから、自分のことばかりではなく相手が居心地良いように考えるべきなのではないでしょうか。安らげる「空間」、安らげる「家」は、自分にとっても、相手にとってもそうであるべきなのではないでしょうか。